ア・プリオリ/Mrs. Green Apple
今回ご紹介する曲はバラードではなくメロディーやテンポはとても陽気です。
しかし歌詞の方は、メッセージ性の強い、心に刺さります。
是非、聴いてみてください。
本日紹介する曲は
です。
「ア・プリオリ」というのは「先天的」、「自明的な認識や概念」という意味です。
ラテン語で「前のものから」と訳すそうです。
それを踏まえて、歌詞をご堪能ください。
まず最初に驚くのが、出だしが
『あれだけ言ったのにバカね 期待をしたら惨めなだけと』
と、ドカーンと言って放つように始まるのです。
聴いてもらえばわかるのですが、少し馬鹿にするような、陽気な感じに歌うんですね。
急に突き放された感覚になりました。
『求められてる人を妬ましく思う
”私”は哀れ ホント哀れ』
まるで心の中を覗かれているような、そんなにはっきり言うんだ…と思いました(笑)
こんなに自己否定から始まる歌があるでしょうか……?
自分だけでなく、「大人」に対して、皮肉っぽく言う歌詞もあります。
『味を占めたのかしら あらもうそのモードで
聞く耳を持つこと忘れた大人 偉いもんね 偉いもんね?』
全体的に、自分に対しても周りに対しても、なんでうまくいかないんだ!!という怒りが一周回って、この世を「生きている」という状況を嘲笑っているようです。
『ホントの自分でいると腐っちゃいそうです
ってもう臭うんだよね』
ホントの自分って何なんでしょう。
認められないことばかり、理不尽なことばかり……人を「信じる」ということに対する恐怖が常に纏わりつく。
でも自分というものは人と関わることによって形成されるもの。葛藤する。
自分一人なんて居なくても回っていく世界、自分の存在が何なのか考えこんでしまう人生。
じゃあ自分は何のために、何をして生きているんだろう…?
『悪い人ではなく弱い人 その違いが君には解るかな
虚しさの中で溺れる世は こんな唄をまだ歌わせる』
『あれだけ言ったのにバカね 期待をしたら惨めなだけと
あれだけ言ったのにまた ね 皮肉にもただ君に恋する』
君に恋する!?急に恋愛!?と思いますが、
他人なんて、人間なんて、と思っていたのに、人の魅力を知ってしまう。人の優しさを知ってしまう。そしてまた期待をして……皮肉だなぁ、と、確かに思いますよね。
例えば「信頼」とか「友情」とか、形のないものを信じて、ふと「何を信じているのか」分からなくなる。
こうして虚無に溺れてしまうことが、生きていれば1度や2度、人によっては幾度もあるかと思います。
「こんな唄をまだ歌わせる」のところ、叫ぶように歌われていて、私はそこで心を奪われました。
「こんな唄」、自分が書いたのに。恐らく「不満」や「嘲笑」、「悔しさ」、「虚無」…そういうものをダイレクトに伝えている曲を書いたからだと思います。
メロディーだけ聴けば明るくて楽しそうですよね。でもこの歌詞は、私だったら泣いてしまいそうな、不安や不満であふれた感情だと思います。
そんな期待と裏切りを繰り返す自分を嘲っているように、笑い飛ばすように歌う。
かっこいいと思いましたし、「ああ、当たり前なんだ、この悩みは」と思いました。
まとめると、
生きていれば友達がいたり、恋人がいたり、親や学校の先生といった大人がいたり、いろんな人と関わってきますよね。
信頼って何だろう。なんで自分は評価されないんだろう。なんでこんなに理不尽なことばかりなんだろう。信じていたものって何だろう。
ああ、他人なんて…自分のことがわからない他人なんて。足掻いても願っても分からない他人の心情なんて。
そう思って孤独と虚しさに溺れてしまいます。
私たちは生まれてからずっと孤独で虚しいのかもしれません。そして生まれてからずっと人の優しさや人との信頼を求めている。
そうして「ホントの自分」を求めている。
求めるが故、人に期待する。惨めな思いをして、バカを見てまた振出しに戻る……
それが生きるということで、何かに依って成り立ったものではなく「概念」であり、自分の経験から陥ってしまっているのではなく、「そういうもの」なんだ、ということではないでしょうか。
ここが「ア・プリオリ」というところなのかな、と思いました。
以上です。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。